白山比咩神社のコラム「神道講話375号」を掲載しています。

神道講話

神道講話375号「今を生きる」

はじめに

今年も年度替わりの節目を迎えました。卒業や退職で去り行く人、又、入学や就職で来る人々の心がかよう季節です。
世阿弥の言葉に「初心忘るべからず」という言葉がありますが、目標をしっかり見定めてそれに向かって努力することが大切であります。
山に登るときに一番大切なことは何かと問われたときに、「訓練」とか「情報」とか「装備」といいますが、それよりも大切なことは先ず「山に登る」という強い目的意識と目標を持たなければならないということです。その目的と目標は意識の強さによって途中で逃げ出してしまうようなことがなくなり、必ずやり遂げようという強い決意や決心がその後の成果に大きく左右するのであります。

目標の勘違い

昨今は試験の合格が目的のようになってしまっているように思います。
良い学校に入る、良い会社に入る、その時に試験合格を目指しますが、目標が試験合格になっているので、合格した後は、何がゴールだったのかが見えなくなって、しまいには勉強しない、学校へ行けない、中途退学する。就職にしても、仕事がつらい、仕事をしない、仕事が合わないなどで退職といったことにもなりかねない。
現在、ゴールは試験合格ではなく、自分が将来何になりたいかという目標を探すために全国の中学校で「わく・ワーク」と称して職場体験学習が行われています。この取り組みは吾が白山市の北辰中学校から始められ、今では全国に普及していますが、自分がどんな仕事がしたいか、何になりたいかという目標のもと、その進路にあった学校や先生につくことで、目的を果たし、目標に到達することができるのであります。
つまり、最初に志す目標を決めるのが大切なのであります。

神社での「わく・ワーク」の様子

一生懸命と一所懸命

一生懸命という言葉がありますが、一生とは産まれてから死ぬまでの間のことで、終生とか生涯ということでありますので、人間が一心に生きることをさしますが、元来は一所懸命ということであり、一つの所、又は一つになることであります。そしてその一つの事柄に対して命がけで取り組むことであり、一心に目標の為に頑張ることであります。
人は一生の目標に向かって一つ一つのハードルを乗り越える。その一つ一つのハードルが一所懸命につながるのだと思います。

中今

江戸中期の書物「葉隠」の有名な一節に「武士道とは死ぬ事と見つけたり。」という言葉があります。それは「死ぬ」まで頑張れということではなく、「死を想え」そして「今を生きろ」たった一度しかない人生を後悔するのではなく、失敗や負けることを恐れず、苦難や挫折を受け入れるという前向きな発想のことであります。
私たちは今、「中今」に生きています。中今とは今この一瞬ということであります。『広辞苑』には「過去と未来との真ん中の今。遠い無限の過去から遠い未来に至る間としての現在」とあります。
ということは過去があって現在があり、現在が又未来を築くのであります。そのまっ只中が中今なのであります。であるならば、この一瞬をしっかりと捉えて自分に忠実に生きたいものです。
その一瞬一瞬が後先を考え単なる今ではなく、「中今」となるのであります。
人生には迷いもあるし、ためらいもあります。しかし、迷っているうちにもためらっているうちにも時は過ぎて行くのであります。
ここに目的・目標を強い意志で持つことにより、そのことが完遂出来るかどうかがかかってくるのです。
いったん決めたらそれに従ってその目的を達成させるために一所懸命その「中今」を無駄にしないことです。その努力がやがて自信につながり、目標達成につながるのであります。

宮司の揮毫散華「霊峰白山中今」

宮司の揮毫散華「霊峰白山中今」
昨年金沢にて開催された「国宝薬師寺展」を記念して宮司を始め北陸の伝統工芸作家14名の手によって製作されました。
散華とは寺院の法要の際に撒かれるもので、元来蓮などの生花が用いられていましたが、現在は蓮の形を模した色紙に字や絵を描いたものを用いています。

おわりに

永六輔氏は講演の中で、「(たとえば今日が3月1日だとすれば)朝、目が覚めたら布団の中で今日は『ついたち』ついたちは1ヶ月で1日しかないが、1年では12回ある。3月1日は1年で1回しかないが、平成26年3月1日は自分の人生でたった1回しかない貴重な1日だから今日1日を楽しく笑顔ですごそうと大きな声で言ってみることです。」とおっしゃっていました。その毎日毎日の積み重ねが幸せな一生につながってくるのだと思います。
「むくわれない努力はあっても無駄な努力はひとつもない」と先人はおっしゃいましたが、年度替わりの3月・4月、新たな目標・目的をもって清々しい春を迎えましょう。