白山比咩神社のコラム「神道講話391号」を掲載しています。

神道講話

神道講話391号「一礼一拍手 いただきます」

はじめに

日本人は、古来二食で、朝食と夕食でした。そして、その中間に食するのが「こびり(こびる)」と言い、昼食は一種のおやつ的な存在でしたが、いつのまにか1日3食になってしまいました。
伊勢の神宮では、朝御饌(あさみけ)と夕御饌(ゆうみけ)を内宮(ないくう)の天照大神様にお供えされますが、その御饌物(みけつもの)を司る神様、つまり食べ物を扱う神様が、外宮(げくう)の豊受の大神様であります。

お祭りと新米

9月・10月は、秋まつりのシーズンで、11月は新嘗祭の月です。
私達が幼い頃は、10月17日の神嘗祭、11月23日の新嘗祭に神様や仏様に新米をお供えしてからでなければ、新米を食することはありませんでした。
田舎の旧家では、もみ種は大切に囲炉裏の上に俵で保管され、新米が出まわる時でも、古米や古々米を食し、たとえ飢饉などで農作物が稔らない時でも、翌年の作付けが困らない様に蓄えをしておくのが、“あたりまえ”であり、新米はお祭りとか冠婚葬祭など特別の日にしか食することが出来ませんでしたが、いまでは新米が穫れたらすぐ食べるのが当然のような時代になりました。 食べ物ではお祭りの縁日で、鯛焼きや焼栗(甘栗)などを買ってもらっても先ず家の神棚や仏壇にお供えしてからでなくては頂戴することが出来ませんでした。
町のお店で何かを買ってもらったり、よその人から物を戴いた時などは、必ず家の人に報告し、親や祖父母は「ののさまにお供えしてから」と悟したものです。
当然、店先で買い食いなどはご法度でしたし、家に持って帰ってお供えしてから分け合って神様やご先祖様、買ってくれた人や物をくれた人に感謝し、お下がりとして美味しく戴いたものです。

秋まつりの縁日風景

観光地でのマナー

『立食を“りっしょく”と読むと聞こえが良いですが、“たちぐい”となると、いかがなものかと考えさせられます』とは、とある大社の宮司さんのお言葉でしたが、例えば、畑や田んぼでの「おやつ」や遠足などでも、外で何かを食するときは「おすわりしてたべなさい」と幼稚園でも教えています。
立喰いは、駅やホームでの「立喰いそば」など、限られた物だけでしたが、今では居酒屋さんまでが「立ち飲み」のお店も出来てきました。
そして、観光地などでの「食べ歩き」も昔はあり得ませんでした。小京都と言われる当地金沢でも、昨年北陸新幹線の開通に伴い、金沢の観光地であります東山界隈の重伝建(重要伝統的建造物群)では、「立ち喰い」や「食べ歩き」は、“景観をこわす”“雰囲気が悪い”として、ご遠慮戴き、各所に簡単に座れる椅子席を設けるなどの記事を新聞で拝見致しました。
『食べながら…』も、昔は戒められました。
日本の家庭では、家族が揃って食事をすることで一日(いちにち)の出来事や悩み事・相談事など、親子の会話がこの時に普通に行われて物事を解決し、或いは団結して物事に対処するなど、価値観の共有が、行われてきたように思いますが、今では家族が一緒に食事をする事も少なくなり、一人一人が別々に好きな時に、好きなものを好きな所で食する、テレビを見ながら、ゲームをしながら、大切な食べ物への感謝など、全くといって良いほど失われているように思います。

重伝建「ひがし茶屋街」

むすび

日本は今、世界有数の観光地でありますし、石川県も海外からのお客様をお迎えし、日本の良き所、美しい所、美味しいものを紹介し、喜んでお帰り戴けるようにと努力をしているところでありますが、食べ物を戴く時は、手を洗って座って喰べる作法とか、日本の歴史や風習、慣習など、或いは、神社は二礼二拍手一礼でお参りする作法など、「日本的なマナー」を教えてあげるのも一つの観光であり「おもてなし」ではないかと思います。
毎日の食事というものは、大切な動植物の「いのち」を戴く訳であり、その大切な「いのち」は、太陽と空気と水と大地と…大自然の恵みを戴いて生きているものであり、それを戴くということでありますので、天照大神、豊受大神、八百万大神の恵みに感謝し、その素材の味を噛みしめながら、心してありがたく戴きたいものです。
 一礼一拍手
 「ごちそうさまでした」

※一拍手は、礼手(らいしゆ)と言い、食べ物を頂戴する前や後に、拍手を一つだけ打つことを言います。