白山比咩神社のコラム「神道講話399号」を掲載しています。

神道講話

神道講話399号「生業に誇りを」

はじめに

「家業」とは①家の財産・一家の財産 ②一族が世襲的に継承していく武芸・芸能などの固有の技術や才能 ③家の職業のことを言い、そして、「稼業」とは生計をたてるための職業、生業のことと辞書にあります。
少子高齢化が進む現代に於いては、人口が市街地に集中し、山間部や漁村は、過疎が進み、住人や産業が少なくなりすぎてきています。
農林業・漁業の担い手も少なくなってきていますが、神社やお寺も、氏子や檀家が減り、維持することが出来なくなり、町村合併にともない、集落自体が消滅し、神社やお寺も統合され、その為に生業としての、神社の跡取りや、住職を継ぐ者もいなくなってきています。

昭和33年 柴山潟の四つ手網漁

消えゆく職業

時代の移り変わりと共に、働く職業や職場がなくなってきています。例えば、羅宇屋(らうや・らおや=たばこを吸うキセルの火皿と吸口とをつなぐ竹の管のヤニを取る職業)・仲使い(なかつかい)(遠隔地から役所や百貨店などのある市中に用事を請け負う仕事)・船大工(ふなだいく)(木造船を建造する仕事)・桶屋・下駄屋など郊外に大型店舗が出来て少なくなってきている職業や、科学の進歩により町を構成していた店舗が消えていった職業、例えば金魚売り、豆腐屋さん、カメラ屋さん、鍛冶屋さん、質屋さん、傘屋さん、銭湯、劇場、提灯屋、氷商、洗い張屋(あらいはりや)さんなど枚挙にいとまがありません。
そして、これから先の近い将来は、技術進歩が著しい人工知能(AI)が主流となり、無人タクシーや無人バスが開発され、自家用車も自動運転は当たり前となり、便利すぎて失敗もありませんが、人情のない怖い世の中が待っているような気がします。

昭和の中頃、街中を天秤棒を担いで売り歩く金魚売り

仕事に対する姿勢

あらゆる職業が人手不足や人材不足に陥る昨今、経営者は事業拡大を狙い、従業員にもう一踏ん張りを求め、きつい口調で発破を掛ければ(無理は言うなとか)もめごとが起こる要因にもなりかねないと危惧します。
企業が、業務を効率化するのは世の流れではありますが、いかに社員の労働環境を整えて、やる気と能力を引き出し、社業の発展に寄与させるのかが、大きな課題となります。
最近では、インターネットの発達に伴い、情報・お金やモノが一瞬にして国境を越える時代となりました。
インターネット上にある情報は、あまりの多さと目まぐるしさに私たちの心に留まることなく、あっという間に過去のものになってしまい消去されてしまうような気がします。
インターネットの重要性は理解出来ますが、機械に使われるのではなく、うまく機械を使いこなせるように日頃の訓練が必要だと思います。
書類一つにしても、過去の文章の月日と曜日を直して使うのではなく、よく読み返し、時には手書きをしてみると、中の意味も理解し、過去のあやまちも発見出来るようになります。
また、記録などは今も昔も変わらぬ普遍的なものとして、紙面を通してしっかりと伝え、保存することが大切だと考えます。

むすび

時が流れ、新年度を迎える3月から4月へ。その中で私たちを取りまく環境は刻々と変化しております。職業にしても職場にしても、消えゆくもの、継承しづらいものなど、数えきれない変化の中で私たちも自分の環境、特に「ふるさと」といったものを忘れることなく、心の中に留めておく必要があると思います。
ふるさと教育とは、郷土のプラスとマイナスを正確に学び、自分と他者を冷静に比較する能力を身につけ、何が真実か、何が間違っているのか、本質を見誤らないことを教えることで、その昔、地方の人々が都会にあこがれ、世界に視野を広げ始めた時、何を基準にすれば良いのか悩んだ末に、自分が生まれた土地が価値観の土台にあることに気づきました。そして自分を大切にすることは郷土愛に等しく、自分をとりまく人々に思いを寄せて、相手のことをより深く理解することが必要だと考えました。私たちも先人が築きあげた歴史や風土を大切にしながら子々孫々にその良さを語り継ぎ、今の自分の「生業」を大切に、誇りをもって生きたいものであります。

刀鍛冶の風景(提供:白山市立博物館)