白山比咩神社のコラム「神道講話402号」を掲載しています。

神道講話

神道講話402号「食への感謝」

はじめに

今年も秋の実りの季節を迎えました。梅雨期の西日本豪雨、また、台風の災害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。
そして、多くの農作物が被害を受け、その地方によっては野菜や果物の高騰など、日本の食糧事情にも大きな影響を与えました。
動物や植物など生きとし生けるもの全ては、太陽と水と空気によって生かされているのであり、そのどれ一つが欠けても、生きていく上で大きな影響があることがわかります。
自然の恵みと共に農作業をする人、流通に係る人、販売する人、調理をする人、配膳をする人など、人が生きていく上で必要な食文化には、多くの人々の関与があることも考えねばなりません。

神職の「食前感謝のことば」

たなつもの
百の木草もあまてらす
日の大神のめぐみえてこそ

「いただきます」と唱えます。

食事が終わったあとの食後感謝のことばとして

朝よひに
物くふごとに豊受の
神の恵みを思へ世の人

「ごちそうさまでした」と唱えます。

それは、単に食物に対しての感謝だけではなく、大自然の恵み・太陽・水・空気にまで誠心込めて有難い思いで、戴くのであります。

また、薬師寺の「六方礼拝(ろつぽうらいはい)」を紹介します。

東を向いて
 お父さんお母さん
 ご先祖さま
南を向いて
 人生こしかた先生
西を向いて
 夫、妻、子供、兄弟姉妹
北を向いて
 友達
下を向いて
 仕事を手伝って下さる人々
上を向いて
 神佛
謹みて六方を礼拝し奉る
よろこびと 感謝と
うやまいのこころをもって
いただきます

神道では「神人共食」といって祭典のあとで「直会」と称し、神様にお供えしたものを神職以下参列の方々と共に戴く作法があります。共々に神の恵みに感謝し「食談」を以てなごやかに過ごします。

豊かな恵みを与えてくれる白山

孤食

今年の食育白書では、すべての食事を一人で摂る日が週の半分を超える人は、15.3%を占めました。
単身・少人数世帯が増え「孤食」が進む可能性を危惧し、地域や職場などで、食事を共にする機会づくりが重要だと指摘しております。
食事はもともと家族が揃って摂るものでありましたので、「ご飯ですよ〜」と、耳にするだけで温かい気分になったものです。
「こ食」(孤食・個食・子食)はどのようなものなのでしょうか。

○お菓子だけ、おにぎり一個だけ「子供がかわいそう」と要望通りに嫌いな食べ物を強制しない。
○食事のタイミングが家族で別々。
○食育や栄養バランスについては、学校教育に期待する。
○スマホなどのながら食事を注意しない。

など、希薄なコミュニケーションによって家族の平安を保とうとする不思議な家族関係が伺えて、これからの時代・家族がどうなるか心配になります。
伝統的な食文化が我々の周りから消えつつあります。食べる物も場所・時間もバラバラというのは家族の絆がなくなってしまいます。地域の食材を大切にし、四季折々の自然を尊重することが大切な事だと考えます。
丸い卓袱台(ちゃぶだい)は、明治になって出来たと言われています。家庭内にまで身分制度が広がっていた江戸期は、1人1人が四角い箱膳で食事をしていましたが、これでは肩苦しいとして、心を開くのは皆が丸くなって食事をするのが一番と考えられたのでしょう。
そして母の手料理や郷土料理を共に戴くことが生活の基本のように思います。
浄土宗門の中学・高校では、
「昼食は伝統的に弁当持参であり、親子の会話のツールとして(弁当を)利用することを推奨している」
宗教哲学者の山折哲雄氏は、
「人間の本能的欲望をコントロールする基本となるのは、食、そのすべてを失えば、予測できない犯罪や行動につながりかねない」
と言っています。

江戸期 箱膳での食事

むすび

食べ物に対する感じ方は、人それそれですが、食べられること自体に幸せを感じて、美味しく食べる人もいますが、何を食べているのかの関心もなく、何を食べても美味しそうにしない人もいます。
自分の気持ち次第で一杯の水を飲むだけでも人は幸せを感じることが出来るのではないでしょうか。
白山登拝の途路、澤水を手盆で飲むことの美味しさは忘れることが出来ません。
贅沢なものを食べなければ満足できないのは、幸せとは言えないのではないでしょうか。
些細な粗食でも幸せを感じ、素直な気持ちで大自然に感謝し、実りの秋を楽しみましょう。

白山登山道の澤水