戦国時代、越中(現在の富山県)を治めていた佐々成政(さっさなりまさ)には、小百合という美しい女性が側に仕えていました。ところが、偽りの告げ口にだまされた成政は、無実の罪で小百合の命を奪ってしまいます。死ぬ前に小百合は、「立山に黒百合が咲いたら、佐々家は滅びるであろう」と予言しました。
その後、成政は、日本を統一した秀吉とそりが合わず越中を追われ、肥後国(現在の熊本県)へ移ります。困った成政は、秀吉の機嫌を取るためには、まず妻である北政所(きたのまんどころ)に気に入られようと、加賀白山から黒百合を取り寄せて献上しました。
当時、黒百合は関西地方では珍しく、「この花が白山の黒百合であることを知る者は誰一人いないでしょう」という成政の言葉を信じ、北政所は淀君をはじめとした大坂城の女性たちを招いて、黒百合を飾った茶会を開きました。
ところが茶会の当日、淀君はこの花が白山の黒百合であることを言い当て、北政所を驚かせました。その数日後、今度は北政所が淀君の茶会に招かれると、そこには粗末な竹筒に無造作に活け捨てられた大量の黒百合がありました。
これらは北政所を嫌っていた淀君の仕業でしたが、北政所は成政が自分を偽ったと思い込み、大変腹を立てました。北政所にも見捨てられた成政は、間もなく領内の一揆の責任をとらされて切腹し、佐々家は小百合の予言どおり滅んだため、人々は小百合の怨念だと噂するようになりました。