
神道講話357号「縁―(えん・ゆかり・えにし)」
はじめに
白山さんのご縁日(えんにち)は18日と考えられます。
それは、僧泰澄が霊峰白山を開山された日が旧暦6月18日で、現在でも新暦7月18日に奥宮大祭として祭典をご奉仕しているからであります。
また、6月18日は古遷座祭と称し、旧鎮座地の十八講河原から阿久濤の森にご遷座されたことにちなんだ祭典を奉仕しています。
神仏習合時代の本地垂迹説では、白山の神様は十一面観音とされ、観音様のご縁日が18日なのであります。
縁日(えんにち)
神様・仏様には、それぞれゆかりのご縁日があります。
そして、そのご縁日(会日(えにち))には、市(いち)が立ち露天商が店を列ね、今では露天商を縁日と言うようになり、特別にその縁日に出される縁起物(えんぎもの)にちなんで、はごいた市とか、ほおずき市などと言ったりもします。
8日 | 薬 師 様 |
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10日 | 金毘羅 様 |
13日 | 虚空蔵 様 |
15日 | 阿弥陀 様 |
16日 | 閻 魔 様 |
18日 | 観 音 様 |
21日 | 弘法大師 様 |
24日 | 地 蔵 様 |
25日 | 天 神 様 |
ハッピーマンデー
祝日祭日もその縁(ゆかり)の日として家の門毎に国旗(日の丸)を掲げ、国民こぞってお祝いしましたが、現在は祝祭日法により、成人の日や敬老の日、体育の日等は、3連休(ハッピーマンデー)と称し、全く関係のない月曜日にされてしまいました。
成人の日に至っては、地域の公的な成人式は、その前日(日曜)か前々日(土曜)に実施し、本来の成人の日とされる月曜日に式典を実施している市町村は50%を割っております。
それぞれの祝日には、それなりの歴史的理由があって祝日とされている訳であり、ただ単に3連休の為だけに祝日を移動するということはいかがなものかと考えさせられます。
祭典日
近年、祭典日(神輿渡御)も土曜・日曜に行う傾向があります。
過疎地域の祭典は、参列者が老人だけで若い人等の参列が少なくなってきているのはわかりますが、若者等の参加を求める為に祭典日を土曜・日曜に移動しても、若者は家族でレジャーやショッピングに出かけ、結局は老人しか参列しないのが現状であります。
それは、年長者が氏神様の事や祭典の事を若者に教えない、いわば村の歴史を伝承していないという事であります。
過疎は言うまでもなく、市町村合併による地域間格差は、歴史観・地縁・血縁もなくしてしまう現状は憂えねばなりません。
無縁社会
最近、無縁社会という言葉を良く耳にしますが、はたして私達は本当に無縁なのでしょうか。
本当に無縁であれば、今の自分は初めから存在しない訳であり、今生きている命があるということは、命の縁、親の縁があったからなのであります。
無縁と言う人は、自分の取り巻く全ての縁を無視し、認めたくないだけの事だと思います。
つまり有縁社会の煩わしさから逃避したいという事なのではないでしょうか。
人には血縁・地縁・社縁等がある訳ですが、周囲の人々が第4の縁(支援)として、それぞれの立場で心遣いをしますが、それは本人には単におせっかいであり、プライバシーの侵害となる訳であります。
公的ヘルパーには、多種多様な制度がありますが、解りにくいのが実状であり、尚かつ、全てといっても良いほど申請主義であります。
そしてその制度を利用するのは、まるで「悪」の様に思われがちで、自己申告はなかなか難しい現状であると思います。
ご神縁
神社の氏子・氏神の関係は本来、血縁とみても良いでしょう。
しかし、現代で言う氏神とは、その地域に鎮まり、その地域をお守りいただく鎮守の神様を称する様になってきました。
唱歌にも「村の鎮守の神様の、きょうはめでたいお祭り日…」とあるように鎮守の神様は、地縁の神様でもあります。
そして、その神々は、それぞれのご神縁によって、その場、その所に鎮座し、祀られてきたのであります。
そのご神徳は、水の神であったり、風の神であったり、稲作の神であったり、漁業の神であったりする訳で、その神々に手を合わせ「今あること」に感謝の誠心を捧げるのであります。
むすび

木々に囲まれた長い参道、せせらぎの音を聴きながら若葉の芽吹きを肌で感じ、清らかな空気を吸いながら悠久の時を刻む大杉の雄々しさは、千年の命そのままであり、鎮守の森の静けさの中に生きとし生ける全ての動植物の有難さを心でとらえながらご神縁に感謝し、日々安らかならん事を祈念したいものであります。