神道講話358号「祈り」
日本という海に囲まれた島国が、幾度となく試練を乗り越えて、今日まで発展して来たその根底にあるものは、尊い先人たちの「祈り」ではないでしょうか。
その事をふまえて、我慢をし、苦労をして、山を、川を、海をきれいにしましよう。
あとから来る可愛い子供達・孫達のために、明日(あした)何をしようかと考える前に、明日(あした)のために今自分は何をすべきか。明日(あす)は、明日(あす)はと考えている暇はない。出来る事から始めたい。
祈るということ
「祈る」とは「い宣(の)る」という事であり、「宣(の)る」とは「宣言する」という意味でもあります。神様に宣言するということは、目的を達成するために、まず誓うということで、「足りないところがありましたら力をお貸しください」という事であり、決して神様に何かを頼むということではありません。
神様の意に叶うかどうか、本当に神様がお喜びになるかどうかという事が基本であります。
祈りの姿、手を合わせる姿ほど美しいものはありません。そこには感謝の気持ちが込められているからであります。
祈るということは、自分以外の大きな存在を認めているということであり、最高に謙虚になるのが、祈る姿であろうと思います。
家庭教育の中でも、幼児教育・学校教育の中でも、祈るという事が無くなってきているように思います。両親や祖父母、兄弟姉妹や親戚、先輩・後輩や友人たちとの繋がりを大切に感謝の心を持って、共々に幸せを祈りましょう。
生きるということ
人間として一番大切な命の尊さは、死というものを意識してはじめて本当の尊さがわかるのではないかと思います。
この度の震災で、尊い命をなくされた多くの犠牲者にご詠歌を捧げ心からご冥福をお祈り申し上げます。
命をかけて教えてくれたこれからの私達の歩むべき道を、前向きに考え、一日一日を大切に生きなければならないと思います。
人は死に直面すると優しくなるといいます。
しかし、死ぬということを考えもしないで、科学を信じ、延命と快適や快楽を追い求め、生を謳歌している社会は、やがて個人個人がバラバラに孤立化し、無縁社会の到来を招くと言われていますが、だからこそ生きることの素晴らしさを実感することが出来るように、そして、人として歩むべき道・礼節・日本人の品格など、今まさに神様から与えられた「人間の原点を見つめ直す」良い機会だととらえ、たゆまぬ努力を積み重ねる事が大切だと思います。
おわりに
神々の国日本、美しい日本
人と人との絆が弱くなったと言われてきた中で、有縁・無縁を超えて支え合うという心を形に変えて実行する力は、日本人に在ると思います。
この底力を元に、私達の生活のあり方を一から見直し、新しい国づくりの第一歩としたいと考えます。
一人一人の命の大切さを心におき、地震・津波の教訓を忘れずに、互いに力を出し合い、知恵を絞り助け合い、慌てず、浮かれず、落ちついて、静かに、今できることを探りながら実行に移し、再びすばらしい日本を取り戻そう。
美しい心は、美しい花を咲かせ、美しい日本を築くと信じます。
共々に祈り、共々に頑張りましょう。