白山比咩神社のコラム「神道講話367号」を掲載しています。

神道講話

神道講話367号「月のおはなし」

はじめに

今では統一され「月」を用いているが「つきへん」の文字は有・朔・朕・朗・朝など、「にくづき」の文字は、体に関わる文字が多く、肌・肘・肺・胸・脂・腹などがあります。
私たちは、月と太陽の引力に大きく影響を受けて生かされて生きている訳ですが、体の約80%が水分とされている人間は、体の部位の漢字がそれを現す様に「にくづき」の文字が多く使われていることがわかります。

つきへん

潮の満ち引き

その引力で新月と満月の時に起きる現象が大潮で、太陽と月と地球が一直線に並び、太陽の力が1に対し、月の力が2の割合の引力が合わさって3となるからであります。
そして、地球は24時間周期で自転し、その遠心力で一日に2回の満潮と干潮が起こり、地球の反対側もまた同様に大潮となるのであります。
また小潮とは、半月の時に起こる現象で、太陽と地球、地球と月が90度に位置し、太陽の力が1に対して、月の力が2でありますので、起潮力は互いに打ち消し1の力が地球に働くから起こる現象であります。
そして、新月と満月頃は「大潮」の干満の差が大きく、上弦と下弦の頃は「小潮」で潮差が小さいのであります。

月の満ち欠けと動植物

樹木は満月になると養分が引力で枝葉に運ばれ、新月になると逆にその作用が薄くなり、満月の木には白蟻がつきやすく、新月の木には白蟻がつきにくいと月の会の方が話されていました。
また、穀類、果実は昇り月の収穫が美味しく、根菜類は下り月が味が良いと書いてある本もあります。
海辺では、目を輝かせて棚田の水面に映った半月を見て「あした行っても釣れるもんかね…」と、自信たっぷりに釣果を予言した広島のおばあちゃんもいます。半月の頃は、潮が小さく魚のバイオリズムも不活発で喰いが悪いことを見通しているのであります。
交通事故の統計では、満月と新月には死亡事故に至る大事故が多く、半月時は、死には至らないが傷害事故など「うっかり型」の事故が多いそうです。

月の会から頂いた「新月の木」

不吉の兆し「蝕」

そして、今年は金環日蝕が5月21日、部分月蝕が6月6日、金星太陽面通過が6月6日、金星蝕が8月14日、でした。 古来、太陽神である天照皇大神を祀る宮中では、その昔皇居のおすまいを薦で覆い、陛下はその光には当らない様にしたと聞きます。
それは、天照皇大神様や月読大神様の威力が低下すると考えられていたからで、それが今年は、太陽と月と金星の3つが重なった大不吉の年でした。
ちなみに日蝕は新月(旧暦1日)にしか起こらないし、月蝕は満月の日にしか起こらないのであります。

金環日蝕

月の暦とお祭り行事

太陰暦(旧暦)から太陽暦(新暦)と、日本では明治5年に改暦されましたが、中国など大陸では未だ太陰暦が使用されています。
太陽暦は1日24時間、1年365日の計算で、私たちの生活リズムには大変便利でありますが、旧暦は自然暦とも言われ、自然の営みには欠かせない暦だと思います。
その旧暦で昔ながらの祭典を行っているのが、嚴島神社(広島県宮島)の管絃祭、百舌鳥八幡宮(大阪府堺市)のふとん太鼓や尾張大國霊神社(愛知県国府宮)の裸まつりなどがあります。

管絃祭(提供:嚴島神社)

おわりに

全国各地で、そして白山麓でも、昔栄えた村々がだんだんさみしくなりつつあります。
村人達が、街へ出て行ってしまい過疎化の現象が起きていますが、そうであればこそ、人工の光の薄くなった山里で、月の満ち欠けや星の移ろいに昔の神話を語ったり、夢をふくらませてはいかがでしょうか。
都会では見ることの出来ない美しい星空が満天のごとく広がり、春夏秋冬、爽やかな風、おいしい空気、草木のそよぐ風、そして大地のぬくもり、季節の旬の味わいを五感で体で味わって見てください。自然暦の楽しさが一層有難くなってきます。