白山比咩神社のコラム「神道講話401号」を掲載しています。

神道講話

神道講話401号「白山の自然と女人解禁」

白山のおいたち

白山の地層の広がり、重なりあい、その中に含まれる化石などから、約1億5千万年前に「手取の湖」として誕生したと考えられています。 中生代ジュラ紀の中頃、埋積をくり返し、アンモナイトなどを含む、九頭竜層群が生まれました。
最盛期の広がりは、琵琶湖の10倍以上とされていますが、約1億年前にその「手取の湖」は消滅しました。 誕生から消滅まで約5千万年の間に総計して厚さ3000メートルを超える地層の累積があり、それを「手取統」と称していました。
時が経つにつれ、火の変動の時代を迎えます。 白山をとりまく地域には、いろいろな岩石、地層があらわれ、長き年月を経る間、隆起と噴火が繰り返され、それは16世紀頃まで続きました。
磊磊(らいらい)たる岩塊、峨峨(がが)たる絶壁。荒凉と冷厳の中に散在する碧(へき)水の湖。青黒い岩塊の累積と焼けただれた軟岩。白山頂上部に展開する光景は、そこが火山であることを、誰の眼にも灼(や)きつけずにはおかないが、立ちのぼる噴煙も硫黄臭の漂いもないことは、荒々しい火山が、今も眠りに入っていることを物語ります。

自然景観

白山は、養老元年(717)に開山され、九世紀頃より頻繁に登山者があったことが伺えますが、このように早くから開けていたにも関わらず、この広い地域の自然状態があまり、破壊されず、今日まで残っていることは、その時代時代の人々が、白山を愛し、大切に護ってきた賜と思います。
植物でも「ハクサン」を種名に冠した植物は、約20種あげられますが、さらに白山の御前峰にちなんだ「ゴゼンタチバナ」など、和名に「ハクサン」を附したもの等々、約30数種を数え、「フジ」(冨士)の約20種、「タテヤマ」(立山)の約12種をはるかにしのぐほどであります。

ハクサンコザクラ ハクサンイチゲ ハクサンチドリ ハクサンシャクナゲ

信仰の山“白山”

白山は夏でも雪をいただく高い山で、幾たびとなく火を噴いた山でもありました。 そして、恐ろしい神霊の鎮まる山として崇め奉られてきたのであります。
農耕社会が広汎に成立して、水源地の高い山の神が水を司る農業神として仰がれるようになっても畏怖すべき霊異神の鎮まる白山のような高山峻岳は、人間の踏み入ることを許さない神聖不可侵の聖域でありました。
しかし大陸から仏教や道教の山岳観が入ってきます。仏教の山岳観は、高山峻岳を仏・菩薩の曼荼羅世界とし、ここにわけ入って修行することによって、はじめて仏・菩薩と一体になり得るとし、特に密教において顕現します。
道教の山岳観は、深山幽谷を神仙の世界とし、ここに踏み入って修練することによって宇宙と合体して神仙化すなわち永遠の生命を感得するとします。
この両者が浸透し混淆した形がその後、在来の神祇信仰と融合し、白山修験として広く伝播していくのであり、この神仏混淆の修験道は、明治初期まで続いたのであります。

明治年表

天領から政府直轄地へ

慶応3年(1867)10月14日、江戸幕府第15代将軍徳川慶喜は政権を朝廷に返上、朝廷は、その翌日の15日に政権を受け入れ大政奉還となったのであります。
明治元年3月28日神仏判然令が出され、白山はそれまで幕府の直轄地「天領」でありましたが、明治5年9月15日の太政官布告により修験宗が廃止され、11月17日大蔵省は白山嶺上及び山麓の牛首村等十八ヶ村を加賀国能美郡に編入させ、足羽県から石川県の管轄に移管しました。

白山上空

むすび(白山の女人解禁)

明治維新150年の本年は、白山の女人解禁145年の年でもあります。
一部の山岳では、今でも女人禁制が続いていますが、白山は明治6年の夏、鳥取県の婦人が登山したのが初めての女性登山とされています。
険しい岩肌、きれいな高山植物、澄んだ空気、爽やかな風、美しい月と星、ただよえる雲、流れる沢水と音、やさしい野鳥のさえずり、青空も良いが、曇りだったら登りやすい、昔から変わらぬ大自然が皆さんを待っています。
白山は現在、国立公園、ユネスコエコパーク、日本ジオパークに認定され、老若男女誰でも登山できますが、石川県側の登山口別当出合から山頂までは、白山奥宮の境内地です。麓から、遠くから拝む白山も良いけれど、体力のある方には、大いに山登りをオススメしたい。「山に行きたい、でも無理かな」と思っている人、先づは一念発起して用具をそろえてみましょう。
そして、山に詳しい「リーダー」を見つけ、十分な下調べと自分に合った計画をたて、「山では最悪の事態を想定して最良の準備をし」登山届を出していざ出発。今からあなたも「山男」「山ガール」。

自然とのふれあい せっかくの機会を大切に!

明治元年閏4月 王政復古に付惣長吏伺書

【解説】
王政復古にともない、白山惣長吏が勤任してきた勅願所としての祈祷や白山惣長吏職としての社務などの扱いについて、加賀藩寺社奉行に指図を願った伺書の控。