神道講話414号「ご自愛」
◆ はじめに
今年春からの疫病はとどまる所を知らず、国内外を震撼とさせました。
日本では東京を始め、大都市での感染が外出を控えさせ、旅行や外食、観光にも多大なる影響を及ぼしました。
当社でも県外のご参拝がなくなり、県内の方でも団体参拝が減りました。
霊峰白山も、「三密」である密閉、密集、密接を避けるべく、室堂平奥宮祈祷殿併設の参籠殿は閉鎖、祈祷殿・社務所も夏山開山祭、奥宮大祭、夏山閉山祭も神職だけでご奉仕申し上げ、授与所の開設も最盛期の土日祝日だけとしました。
室堂ビジターセンターや宿泊棟も「三密」対応として宿泊定員を3分の1に限定したお陰で、水不足にもならず、登山道の荒廃もなく、自然が保たれ、今年登拝された方々は「普段と違って、ゆっくり楽しめた」という声も聞かれました。
外国ではベネチアの運河が透き通り、イランのテヘランでは大気汚染が静まり、中国でも水質や大気がきれいになり、ミラノの公園では野ウサギが駆け回っているそうです。
そのような事を耳にすると、人間が破壊してきた自然環境に対する自然からの逆襲のようにも思えて来ます。
◆ そなえよ常に (隔離病棟)
この度の新型コロナウイルス禍について前金沢市長 山出 保 氏は
その経費は国は特別交付税に算入していたが、結核患者が減ってきたことを理由に、国が算入枠から落としてきました。
こうした病床は不採算部門だ。
しかしこれを無くしてはいざというときに間に合わないと考え、金沢市の一般会計から病院会計に補填して今日まできている。
こうした病床を持つことで、医療従事者は教育研修を受け、ノウハウを蓄えられる。
非常時の医療というものを絶えず心するのが公的病院と国の責任であるべきだ。
命を守るために、こういうものを軽視してはいけない。
と述べています。
◆ 神様からの啓示 (ヨゲンノトリ)
幕末の白山に現れ、疫病の流行を予言したとされる双頭の鳥について、国立公文書館(東京)が所蔵する1857(安政4)年ごろの文献があることが分かりました。
山梨県立博物館が所蔵する村役人の日記「暴瀉病流行日記(ぼうしゃびょうりゅうこうにっき)」1858(安政5)年の記録には前記と同じく絵入りで紹介されている。双頭の鳥が加賀国白山に現れ「世の中の人が9割方死ぬという難が起こる」と予言し、自らの姿が厄除けになると話したとされます。
このことは2009(平成21)年にまとまった白山市教委の調査で「安政雑記」を確認した石川県立図書館史料編纂室の石田文一主幹(当神社史編纂執筆者)が解説しており、体の一部が白くなる鳥として描写されていることから、双頭の鳥はライチョウではないかとし「遠目で見た絵師が2羽の鳥の姿を写生したとしても不思議ではない」と述べています。
又、鳥に詳しい識者は、鳥が交尾をしている姿を遠目で観察すると雌の上に雄の鳥が乗っているので足は2本しか見えず頭だけが2つに描写されているものとして考えられるとしています。
この他にも「アマビエ」とか「クタベ」とか疫病除けの伝説が各地にあります。
特筆すべきはスサノオの神の巨旦将来(こたんしょうらい)と蘇民将来(そみんしょうらい)の神話が有名であります。当社もこの神話に基き夏越の大祓に併せ「茅の輪守」を頒布しました。
おもしろいお話では「貧乏神様さま」(画・文 高草洋子 地湧社刊)という小説のように「貧乏神」と「福の神」が居場所を交換したところ、貧しい家から「福の神」が逃げ去ってしまい、その後に「疫病神」が住みつき、あげくには「死神」までが入り込んでしまい、家主たちを苦しめました。
「貧乏神」は家主を不憫に思い「死神」と「疫病神」にお願いし、出ていってもらったところ、この家は貧しいながらも、楽しく暮らしたというお話でした。
◆ むすび
最近のお手紙に「時節柄ご自愛専一に…」という文章が添えられています。
自分の体は自分で守らなければならないという意味でしょうが、先般、あるお坊さんとお話していましたら、「自力本願」と「他力本願」を合わせて「全力本願」だねということを教えられました。
「ご自愛」とは正に「自己管理」「自己責任」のことであり、マスクをしたり、手洗いやうがいをし、いわゆる「三密」である密閉、密集、密接を避けることが「自力本願」につながり、眼に見えぬ災厄には目に見えぬ神様、ご先祖さまに手を合わせることが大切です。
今生きている私達のご先祖はスペイン風邪やペスト、ポリオや結核など多くの疫病難関を突破し、生き抜いてきたDNAが受け継がれているということでありますので、疫病退散、無病息災を祈る「他力本願」の力を借り、尚かつ医療関係者のご努力と叡智によって、元のように元気にほがらかに、平穏無事に暮らしたいものであります。
神々のお守護(まもり)のもと、くれぐれも「ご自愛専一」にお過ごし下さい。
(8月3日記)