神道講話418号「おなおらい」
◆ はじめに
世間では、人類の生命を脅かす新型コロナウイルスの猛威に苛まれつつも、ワクチンや医学の開発を頼りに恐々とし、あるいは人と接することに対する不安感や恐怖心、またいたずらに人を疑ってしまう気持ちを心の中に残してしまうような日々が続いています。
ことさら年末年始の忘年会や新年会、年度末の卒業式や入社入学のお祝いの会食、桜の時季のお花見宴会などは、自粛をせまられ、とうとうお祭りの後の「直会(なおらい)」まで波及してしまいました。
◆ 直会(なおらい)とは
祭りにおける酒宴行事のことであり、一般的には祭典終了後お供えした神饌を下げてそれを戴く宴会と理解されていますが、直会は祭典を構成する一つの行事であり反省会でもあります。
神社では、どのような祭典でも直会行事を行うことが定められておりますので、当社では奉仕神職は「御神酒・鯣(するめ)・昆布」を、参列者は「御神酒」あるいは「直会飴」を頂戴しております。(大祭では折詰なども準備致します)
語義は、祭典が終わり忌みを解いて常に直るという意味から、人々が「直り合う」義とされています。
「直会」の字は当て字で、「ナホル」という語は、直日神(なおびのかみ)の直と関係があると考えられています。
神祭の終わった後に、座を替えて直日神を祀ることが本来で、神祭における種々のあやまちを正す反省の儀式であります。
直会においては神様に供えた神饌や神酒などを祭りの参加者が頂戴する共食の行事を主体とする関係から次第に酒宴の性格が深まってきました。
現在の祭りでは、直会の後に行われる宴会と混同され、祭りにおける酒宴行事と解されるに至りました。
ちなみに直会を行う殿舎を直会殿(院・所)といいます。
◆ 自然に感謝
我が国は四季折々の風情に守り導かれて自然界の姿を日々改め、春夏秋冬、栄枯盛衰を繰り返し、時には試練を、また大いなる恵みによって、その力強さは私達に勇気と根情を与えてくれています。
そして、自然に休みはありません。
太陽をはじめ月・星のすべては一瞬たりとも止まりません。常に動くことによって生命を維持しています。
動くことは陰と陽の繰り返しでありますが、私達は日中に働き、夜には寝て身体を休めますが、私達の身体は心臓の鼓動のように、肺の呼吸のように一時たりとも休むことなく動いて生命を継続してくれています。
そのことを理解しながら、目に見えないウイルスに負けないようにこれまた見えない聞こえない大きな力、お守り、お導きにより日々の生活を心豊かに「神人共食」の下、神様からのお下がりを頂戴しましょう。
◆ これからの直会
直会の一つの方法として講師を招き、話し手はマスクをして卓話を行い、ウイルス感染に注意しながら、例えば「神さまのこと」「神社の由緒」「食材の産地」「調理の秘話」などを拝聴しながら、目と口と耳で味わい、隣同士ではなるべく会話をしない様に「直会」を行います。
また、参加者全員に「自己紹介」や「信条」「近頃思ったこと」など1人3分として話してもらえば10人で30分、20人で1時間になり、その間に飲食をすれば、雑談・食談はなくなり、静かで理知的な直会になると思います。
もう一つの提案として、神宮の饗膳の様に、御神酒と鯣、昆布、紋菓で、挨拶と乾杯をし、お料理が出たならば、その造り手や入手の方法など、例えば当地方ではじゃがいもの煮物は、白峰産の「カッチリ」であったり、「豆腐」は珠洲の大浜大豆産や「油あげ」は白峰の堅豆腐であったり、金沢産の「れんこん」「金時草」等々の加賀野菜の紹介をするなど、固有種、在来種の意義などの説明を聴きながらの食事(直会)は、いかがでありましょうか。
懇親会、飲み会にしても同様で、食事を楽しみ、他の隣人の会話は慎むなどすれば、これからの食談は意義あるものとなるのではないかと思います。
◆ むすび
人が多く集まる全ての行事に自粛要請がかかり沈黙状態になりましたが、この厳しい環境に在っても神社は、当たり前の手段として確実なコロナ終息・撲滅に向けて日々の祭典をご奉仕致しております。
ご参拝の皆様には、それぞれのご意志にお任せ致しますが、「密閉」「密集」「密接」を避け、すがすがしい「神気」を頂いて下さい。
共々に智恵を出し、伝統文化をもう一度考えながら新型コロナウイルスに負けないルール作りに励みたいものです。