神道講話424号「旬」
◆ はじめに
季節はめぐり新緑の五月を迎えました。
「春は里から、秋は山から」という言葉がありますが、3月末からフキノトウが顔を出し、ヤブカンゾウ・コゴミ・タラノメなどが一斉に野を芳(かんば)し、桜前線も東北から北海道へと移り、山々は萌黄色から深緑へと春の息吹が感じられ、何故か心までウキウキして参ります。
およそ60年前の生活は、冷蔵庫などありませんでしたので、冬の食べ物は、塩漬けか干物でありました。(いわゆる塩干物)
農家は、根菜・葉物野菜を土の中で保存したり、畑でむしろをかけたり、降雪地方では、雪をかぶせて野菜を貯蔵します。大根などは干して漬物(沢庵)は定番です。
魚類は、北海道の「身欠きにしん」や新潟の「塩引き鮭」など、またタラやスルメなどの干物、そして時には贅沢に缶詰です。そんな生活でしたので、春になると、どの山菜はどこでいつ出てくるか、すぐに食べれるか、今すぐに食べれなくてもぜんまいの様に手をかけなければ食べれないものや、ギボシ(山ウルイ)のように茹でてすぐに食べれるもの、ワラビのようにアク出しをしなければならないもの等々、山の恵みに感謝の日々を送ります。
コシアブラは、鹿やカモシカに食べられないうちにと動物などと競争するのです。
◆ 調理と料理
神社では、神前にお供えする神饌物は神職によって調理されます。
元々は「熟饌(じゆくせん)」といって、煮炊きしたものをお供えしました。特に良い品を選び、その元を断ち、末を切って、真中の良い所、美味しい所をお供えするのです。
今でも奈良の春日大社や大神神社摂社の率川神社のゆりまつりで行われていますが、黒木の枝を組み合わせて案を作り、上に折櫃をのせ、その中に土で作った皿や高坏(たかつ)きに盛り、お供えするのであります。
この他にも特殊神饌としてお米を染めて積み重ねたものや、餅を油で揚げた「ブドウダンゴ」などがあります。
現在では、ほとんどが生饌として卵・海魚・川魚・海菜・野菜・果物等々、そのまま三方(さんぽう)や高坏にのせてお供えするのが一般的であります。
つまり調理とは、旬のものをより美味しく作って、神や客人をもてなすことといっても良いでしょう。
今では調理師は調理師免許として国家試験で取得するものであります。
次に料理とは、その食材を余すことなく色々な料理にして食することであり、お母さん方が作る「家庭料理」や食堂の裏方が作る「まかない料理」やお寺の「精進料理」、そして食材そのものを指して「魚料理」「野菜料理」「山菜料理」などの使い方をいいます。
ちなみに料理人は、免許はいりません。(但し食堂などは食品衛生の講習を受けなければなりません。)
そして料理人でも、日本料理は「板前さん」西洋料理は「コックさん(オランダ語)」フランス料理は「シェフ」と呼んでいます。
毎週楽しみに見ているテレビ番組で「やまと尼寺精進日記」というのがNHKで放送されていますが、奈良県桜井市の音羽山観音寺の精進料理は見事なものですし、三月まで日銀金沢支店長をお勤めの武田さんの料理は食材を余す所なく、根から葉・茎にいたるまで、すばらしい料理名人であり、正に経済的なエコライフの実践者であり料理人であります。
◆ おいしいもの
先般ご参拝に来られた京都の書家さんは、参拝のあと「皆さん、美味しいものを食べましょう」と言って下さいました。美味しい物を食べると皆等しく笑顔になるからだそうです。
そして、「美味しいものを食べると言葉は入りません。無理な食リポは必要ないということですね。笑顔で充分です」との事です。
そして一所懸命に作って下さった調理師・料理人に心を寄せ、食材にも「いただきます」「ごちそうさま」の言葉を添え、美味しいものを美味しく頂戴しましょう。せっかくのお料理ですから「残す」なんて不作法はしたくないものです。
風が鳥が動物が種を運び、野山の多種多様な山菜や、あるいは農家の人々、おじいちゃん、おばあちゃんが丹精込めて作った農作物は全てお日様(太陽)と水と空気によって育まれた大地の恵みです。
そしてこの世の中で必要としないものは何ひとつ無いのであります。そこに有るものは、ただ「感謝」「ありがたい」のみであります。
◆ むすび
白山麓は、五月の始めの連休で田植えを終え、五月休(さつきやすみ)と称して温泉で疲れを癒やし、端午の節句には皆で茅巻や柏餅を食べ、五月のお参り月に神社に詣でて予祝(よしゆ)くの参拝をするのであります。
そして雪解けの遅い山々では、雪の割れ目から真黄色のフキノトウが顔をのぞかせ、ウドやアザミ、根まがり竹の筍が待ってましたとばかりに芽吹きます。
この自然の中で、私達は五感を研ぎ澄ませ、目で山々の萌黄色を賞で、肌でさわやかな風を感じ、耳でせせらぎの音や木々の葉のささやきと共に鳥の声を聴き、森の落葉の息吹(いぶき)を感じながら「おむすび(両手でにぎるからおむすび)」を食し、生まれてきたこと、生きていることの喜びとご祖先の恩、そして大自然の恵みに感謝の気持ちを改めて考えてみてはいかがでしょうか。きっと良いことがありますよ。