神道講話432号「獅子と狛犬」
◆ はじめに
神社には守護獣としてご社殿や境内に左右一対として置かれています。
向かって右が阿形、左が吽形で口の開いている方が上位、閉口が下位とされ、どちらが雄か雌かという論争や人の一生と同じく口が開く「あ」で生まれ、「ん」で一生を閉じるといわれています。
当社の狛犬は戦前の旧国宝で、戦後に国の重要文化財として再指定されました。この狛犬は木造漆彩色で向かって右(神様から見て左)の阿形が像高98.0センチ、向かって左(神様から見て右)の吽形は像高97.0センチであり、阿吽一対として鎌倉時代に造られたものであります。
檜材で寄木造。全身に黒漆が塗られ、唇には朱、歯には金泥が施されています。
肉付きのよい胸をぐっとそらし、後ろ肢を曲げ腰を深くおとして坐る。頭部は大きく、太く彫出された髪は、阿形像を巻毛、吽形像を流し毛の様式で、首から背に垂れて、前方を睨む。四肢にやや鈍重さを感じさせるが、上半身をたくましく威嚇を強調した堂々たる狛犬と評されています。
◆ 獅子狛犬
文化庁の指定する重要文化財名称もつい近年までは「狛犬」でありましたが、平成元年に指定された当社の「狛犬」は、指定名称が「獅子狛犬」とされ、一対の指定名称「獅子狛犬」はその第一号であります。
獅子= 無角、開口、左(神様から見て)群青(身色)か黄(金箔)縮毛(たてがみ・尾)
狛犬= 有角、閉口、右(神様から見て)緑青(身色)か白(銀箔)縮毛(たてがみ・尾)
総称としては一対として「狛犬」ではなく、「獅師狛犬」というのが、正しいとされました。
二つの名称が連なっているのは、左右が同じ動物ではなく、ライオンに起源する獅子と、中国で仏教伝来以前からあった空想の霊獣と、この二種の組合せであり、前者の獅子に対して後者を日本では、平安時代以降「狛犬」と呼んだようであります。
ちなみに「獅子」の表記は、「師子」が正しいようであります。
仏教がインドから中国へもたらされた際の経典漢訳に、ブッタの偉大さを百獣の王ライオンにたとえ、サンスクリット語の漢訳で最初の「シ」音を「師」と表記し、それに接尾語の「子」をつけて指導者の意を含む漢語「師子」となったといわれています。
◆ 獅子のつくもの
仏教経典にもブッタを「人中師子」その説法を「師子吼」といいますが、神社の東方の山を獅子吼高原といい、麓には世界中の獅子を展示した「獅子ワールド館」や獅子頭作家の知田清雲さんの工房があります。
またお祝い事や厄除けに九谷焼の「加賀獅子」を贈る習わしも現存しています。
◆ むすび
全国には数多くの獅子舞が伝承されていますが、大陸伝来の伎楽の中の師子に基づくものも多く、民俗的には強力な想像上の霊物である「師子」が、人々の生活をおびやかす悪霊を圧服するという信仰がその芸能を展開させたと見られ、一方また神に捧げる生贄の動物であるシシ(鹿・猪)が、神に対して服従を誓うという精霊的立場にたつものの芸能化とも見られ、東北地方の山伏神楽・番楽などで獅子頭を権現と称して、年末年始にこれを奉じて村々をめぐる悪魔払い・火伏の祈祷も行います。
また長野県新野の雪祭りでは、祭りの最後に獅子がしずめ様と呼ぶ神さまに鎮圧される所作を演じますし、岐阜県の数河獅子などは、肩車に乗ったり曲芸的演技を見せるものなど、神事芸能とも深いつながりが見られます。
もともと神社の殿上に獅子狛犬を置くのは、内裏にて御帳の左右に置かれ、あるいは神門の傍らに相対して置かれたもので、御帳又は門扉が風によって動かないように押さえの為で、鎮子の為であれば、何でも良かったのでありますが、獅子形を以って置かれたのは鬼魅を避く意味でしたが、やがて威儀の具となりました。
昔から目に見えない「もののけ」が入ってこない一種の威儀物で沖縄のシーサーも同じ意味であります。
当社では幣殿階下に陶製の物一対、向拝と北参道鳥居横に石造一対づつ、宝物館には重要文化財の獅子狛犬木造が二対展示されています。
獅子狛犬の守護獣により邪気消滅、悪鬼退散にて清々しく元気に朗らかに過しましょう。