神道講話434号「響き」
◆ はじめに
「一年の計は、元旦にあり」と申しますが、やはり新年を迎えて今年の目標・希望を考え、それに向かって充実な一年にしたいものです。
昨年秋に「朝に希望・昼に努力・夕に感謝」という一節が目に留まりました。一日一日を一所懸命生きることは大切な事です。ましてや新年を迎えての「今年の目標」には一生懸命「神様が喜ぶ事」を実践する事につながります。
人はそれぞれ生きた年数を積み重ねた知識で生きていますが、その生き様は恥じる事の無い生き様だったのでしょうか。
カゲロウの寿命は、24時間。人間の一生は100年。人類の歴史は20万年。地球の歴史は46億年。その長さを教えてくれるのが、大自然を形成している山であり、川であり、森であり、大地であり、水であります。そしてそれを知る事ができるのは、ジオパークなのであります。
◆ ことだま
山の頂きに立った時、あるいは尾根に到達した時に「ヤッホー」と声を発すると、谷の向こうから「ヤッホー」と返ってきます。いわゆる山彦であり、山幸彦の反響する音で、これを「こだま」とも言います。
「こだま」は「木霊」とも「木魂」とも「木精」とも「谺」と書きますが、これは大気が澄んでいる時に響きます。濃霧だったり、雨の日は聞こえません。
ご神前の鏡が示しているとおり、「彼我見」であり、離れた所に対峙する彼方の自分が見えるのであり、聴こえるのであります。
拍手にしても、祈りにしても神様は常に「見てござる」のであります。
私達が会話をしていても、やさしい笑顔でやさしい言葉を相手に投げかけるとやさしい笑顔が返ってくるし、良い考えが浮かび結果良い方向性が見つかりますが、きつい言葉を発すると、思ってもいないきつく辛い返事が返ってきて結果良い事に繋がりません。
ということはやはり言葉にも「言魂」が宿っている事がわかります。
やはり言葉の力は侮れないもので、何気なく聞いた言葉が心を救うことも少なくありません。落ち込んでいたりすれば、なおさらであります。
一例を挙げますと、
○「もうダメだ」ではなく、「まだダメ」なのだ (野村克也)
○手を抜く方が疲れる (木村拓哉)
○どうもがいてもだめなときがある。手を合わせるしか方法がないときがある。
本当の目が開くのはその時である (相田みつを)
○弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは強さの証だ (ガンジー)
○人間が本当に悪くなると、人を傷つけて喜ぶこと以外に興味を持たなくなる (ヨハン・ゲーテ)
○下を向いていたら虹を見つけることは出来ないよ (チャップリン)
時と場所、相手を見極めて言葉を選び、楽しい会話を致しましょう。
◆ むすび
「呼応」という言葉には、文字通り一方が呼びかけ相手がそれに応えるという意味と共に互いに気脈を通じて物事を行うという意味があります。
人と人との接し方のコツは、①すぐに②はっきりと③朗らかにを基本に、打てば響く会話を心掛けましょう。
一つのきっかけは、まず挨拶です。「挨す」は「おす」、「拶る」は「せまる」と読み、押して近づくという意味でありますので、挨拶とは、コミュニケーションの入口であります。
朝、登校する子供たちから「おはようございます」と声をかけられると、こちらの心がスッと透明になり、お互いに心がさわやかになります。
その昔、夏目漱石は英語の教師だった頃「I LOVE YOU」を「月が綺麗ですね」と訳された伝説めいた話が残っていますが、何を伝えたいのか、それをしっかりと見つめて書くことが大切なのだとわかります。
自由な言論が尊ばれる時代ですが、何を言っても良い訳ではありません。全てに相手があります。人がいやがる事は厳に慎むべきです。もう一度いいます「神様は見てござる」です。神様に喜ばれる言葉・会話・行動を実践しましょう。