神道講話435号「地震(ない)の災い」
◆ はじめに
令和6年元日午後4時10分、歳明け早々、当社では4時の初祈祷の祝詞奏上中、当地震度5弱の地震に襲われました。建造物・鳥居・灯籠等は大丈夫でしたが、初詣の献備品が散乱、酒・醤油の一升瓶は落下して砕け、幣殿は散々であります。
しかし幸いなことに、初祈祷者、境内向拝、授与所の参拝者、奉仕の助勤者、また神職・舞女1人たりとも怪我もなく、これ偏(ひとえ)に大神様の御加護の賜と感謝の誠を捧げました。
能登半島では、震度7を記録し、大地は裂け、山は崩れ、道路は陥没、電柱は倒れ、電線は垂れ下がり、家屋は倒壊、火の手は上がり、津波は5メートルを越え、港は4メートルも隆起し、漁船は打ち上げられ、或いは転覆、逃げ道は塞がれ、人々は泣き叫び、右往左往、やっとの思いで避難所にたどりついても知らない人で溢れ、やがて夜を迎えても電灯は点かず、水も出ないし、食料は非常食、年寄りはうなり、幼児は泣き叫び、地獄とはこのことなのかと思う程のありさまであります。
一時避難所に入れない人は、自家用車で過ごしたり、農家のビニールハウスに逃げ、或いは倒れかかった納屋で寝泊をし、ペットのいる人はやはり車の中でしか生活できません。
◆ 過疎地域「能登」
時が経つにつれ被害状況が明らかになり、死者242名、負傷者1,185名、避難者12,138名、安否不明者9名、家屋被害68.621棟(2月15日午後2時現在)。
道路は幹線だけが復旧するも、片側通行だったり一方通行、少し離れた集落は、未だに車は通れず、水道も4月に出るかどうかわからない状態であります。
能登地方はもともと過疎で老人の一人暮らしの木造家屋が多く、耐震工事も遅れており、被害が拡大したのだと言われておりますが、留守宅も多く、今後の撤去作業も遅々として進まない中、全国からボランティアの人々が、手を差しのべて来ていることは有り難く感謝の極みであります。
しかし、受入側の体制が追いつかず、(公務員・役所・諸官庁の方々も被災者)陸続きは一方で、三方は海に囲まれた地域、宿泊施設も被害に遇い作業する方々も片道3時間以上をかけて金沢から通わなければならないありさまであります。
◆ 石川県の現状
石川県では2月2日、県議会環境農林建設常任委員会が開かれ、早期の道路確保、農家従業員の給料の支払、水道の復旧・港の損壊、陥没の復旧修繕、災害ごみの処理、住居政策、二次避難所の改善、地盤沈下や亀裂の修繕などが話しあわれ、被害状況は農業関連1,105ヶ所、水産関連329ヶ所、森林関連144ヶ所等1,602ヶ所にのぼり、奥能登4市町の調査が進めば、さらに増える見通しと報告されています。
地域防災計画の地震想定について見直しが遅れた背景には、想定の甘さと国の専門家による活断層の分析結果待ちが考えられるとしています。
そして、さらには内灘町とかほく市では液状化被害が生じ、路面の隆起や沈下が住宅街を襲い、家屋が傾き、砂や泥が吹き出し深刻な被害となっています。
被災地の住民は「地震から3週間たってやっと電気が通じ、メールも届くようになってきましたが、水道の復旧はまだ先で、今は雨水を貯めたり、雪を溶かしたり、給水車までもらいに行くこともあります。日々喪失感は増してくるばかりですが、多くの人たちが助けにきてくださっています。ありがたくて感謝の気持ちでいっぱいです」と綴っています。
◆ むすび
生涯忘れることができない大地震。天と地がひっくり返るという言葉がまさにそうだった。だが能登の人たちの中には、「なにくそ」と言って立ち向かう心の強さを持つ人が大勢いるだろう。
被災された中学生も白山市や金沢市で集団避難生活をしています。その子供たちに「泣きたい時には泣けばいい。悲しみは皆で分けあえば半分になり、嬉しい時は皆で喜べば、嬉しさも倍になります。1人で閉じこもらず一緒に泣いたり、一緒に笑ったり、何でも話しストレスを少なくして皆が健康に生活できるように応援しています」と言ってあげました。
大切な故郷を失わないために、今できる事をしていきましょう。
当社の神職も能登半島出身者が3名おります。実家のお社も崩壊したり傾いたり、住まいは住めない「赤紙」が貼られ、家族は避難所生活でありますが、親としては「白山さん」の方が安全、「帰ってくるな」の言葉に、子供は1日も早く親もとへ駆けつけたい気持ちを抑え、涙をこらえ歯をくいしばり、日々の神前奉仕に頑張っております。
他の神職も神社、また神道青年会主催による支援・救援・復旧・復興作業に被災地を訪問しています。
今後共、出来る限りの支援を心に誓い共に頑張りましょう。