神道講話437号「汐時」
◆ はじめに
万葉集第一巻の八に額田王(ぬかたのおおきみ)とありますが、一説に斉明天皇(さいめいてんのう)の御製とも言われています。(上記 記載)
この歌は、斉明6年(660)、朝鮮半島の百済(くだら)の支援の為に斉明天皇、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)、そして額田王と共々に出兵する時、九州へ向かう途中、斉明7年1月に熟田津(にきたつ)(今の愛媛県松山市)に滞在している時、次の航海のタイミングをはかっていた時の歌であります。
この歌の題詞には御船が西に征き始めて海路に就くとき、伊豫(いよ)の熟田津のいわやの仮宮にておつくりになられた歌とも伝えられています。
口語訳では、熟田津で舟に乗ろうと月が出るのを待っていると潮の流れも(船出の条件と)合致したので、さあ、今こそ漕ぎ出そうということで、この「月待てば」とは、一つは「月の出」を待っているという読みと、もう一つは「月の満ちる」のを待っているという意味の二つがありますが、ここでは満潮を待つという意味であると思います。
◆ 満潮と干潮
潮(汐)とは、海水でいう満潮と干潮のことであり、その現象を言います。
そして「しおどき」とは、時機やころあい或るいは機会を指します。
また、潮合い(しおあい)とは潮の満ち引きする所であり、物言の程あい又は頃あいを言います。
この度の能登半島地震では、多くの建物が倒壊したり地割れが起こり田畑の作付けが出来なかったりしていますが、半島全体では隆起による大変な被害を受けました。
輪島の門前町では海岸線が約4メートルも昇ってしまい、船が打ち上げられ、船出が叶いません。
国・県・市が協力し海底を浚渫(しゅんせつ)する作業が進められています。
人・植物・動物全ての地球上の生物は、太陽と月の引力によって、生かされて生きているのであります。 もちろん大気・水も大切でありますが、人間も体の約80%が水であり、人が生まれる時は満潮で、息を引き取る時は干潮と言われていますし、海亀や蟹は、満月の時に産卵で陸へ上ってきます。
花のひまわりは名称(なまえ)のごとく、朝、東に向って花が咲き、夕方になれば西に向いて花を閉じます。そして草花・野菜はおおよそ、天中の太陽を目指して花を咲かせ、樹木は満月で地中の水分を吸い上げ、新月では樹木の水分が土中に環ります。
つまり、生きとし生ける物全ては、満月と新月、満潮と干潮に左右されているといっても良いのであります。
◆ むすび
私達は、仕事や、役職で「退き時」を「引際」又は「汐どき」と言います。
「そろそろ潮時だ」のように使われる「潮時」は「国語に関する世論調査」三割強(36.1%)の人が「ものごとの終わり」という意味であると答えました。「日本国語大辞典」では物事を行ったりやめたりするのに適する時、“好機”と記され、「広辞苑」ではある事をするためのちょうどいい時機、“好機”ともあります。先述の世論調査では、60%の人が「ちょうどいい時機」と答えています。
したがって「ものごとの終わり」という意味ではあまり使われる言葉ではありませんが、スポーツ選手とか政治家が後進に道を譲る時には、本人の意志として「潮時」=「引退の時機」「引き際」と解釈する人もいます。
また、地震で岸壁が隆起した七尾市の石崎漁港の漁船は、5ヶ月ぶりに救出されましたが、船長は、復旧に見通しが立たないこともあり、「ここが潮時や。今までありがとう」と引き揚げられたとありました。
いずれにしても「潮どき」を迎えたならば、積極的に物事を率先して行ない、礼儀を重んじ失礼の無い様に仁義を尽してより良き社会を構築していかなければなりません。
大震災が発生した時に、日本人が秩序ある行動をとり、お互いを思いやる気遣いを示す振る舞は、世界に共感を与えたのであります。
礼節を失わぬ慎みこころは、人間相互だけのものではなく、私共の生きる地球や自然に対しても持つべきものであります。
五感を整え、自然の息吹に人として執るべき道を違う事なく、一日一日を大切に過ごしましょう。