白山比咩神社のコラム「神道講話438号」を掲載しています。

神道講話

神道講話438号「ゆとり(よゆう)」


◆ はじめに

静岡県三嶋大社の先代宮司 矢田部正巳さんとお話しをした時に、「六中観(りくちゅうかん)」をご教示戴きました。
色紙には明治神宮の元宮司 伊達巽さんの揮毫によるものでしたが、あとで調べると、陽明学の研究者で致知出版の安岡正篤先生の座右の銘と知りました。
その中の冒頭に「忙中有閑」とありますが、これは“どんなに忙しい中でも閑はつくれるし、またそういう余裕を持たなければならない”ということであります。

◆ ゆとり教育

学校教育では平成10年頃から約10年間「ゆとり教育」が行なわれました。これは知識のつめ込み教育に対して、子供達のおおらかさや、人としての思いやりを教えるものでしたが、残念乍らおしつけの教育など、実践のあり方の相違で実らず、平成22年頃には、脱ゆとり教育が提唱され、倫理観や生きる力を養う教育に変わりました。今まで学校、学級単位で行なわれていた児童、生徒の学校貯金(貯金は郵便局、預金は銀行、農協では積金といいました)もなくなり、「ガマンすること」「たくわえること」を教えなくなりました。
戦前は維新の教育のように識字力、計算力はすばらしいもので、戦後の教育では欧米に追いつき、追い越せとばかりに知識も充実しました。
そして、家庭制度、親子関係が尊ばれており、一生懸命働き、貯蓄をして余力が出来たら自分の家を建てて、充実した生活を送りそれを子供や孫に伝承していくのが本来でしたが、今では借金(ローン)で家を建て、自家用車を1人に1台買い、結局ローンに追われ一所懸命仕事に励み、あげくの果ては働き方改革と称し、休日を確保するために労働時間の短縮を計り、副職を奨励するなどは、蓄えも心のゆとりもなきに等しい状態であります。

急須でお茶を入れ、一服のひとときを楽しむ「ゆとり」の時間

◆ 能登半島では

被災地の公務員の皆さんたち、役場、医療従事者、自衛隊、警察、消防等々、家はつぶれ、親は亡くなり家族は避難所、年寄は介護施設で他町へ、その中でどうやって公務を果たせと言うのでしょうか。
昭和の終わり頃、今から40年程前、世間はゆったりと、心のゆとりの中で相互に助けあい、なぐさめあって生きてきました。
神社の職員も、ある時には警察官、ある時には銀行員と親睦を計り、野球、バレーボール、卓球、テニス、麻雀と地域で交流が保たれ、神社では青少年教育としてボーイスカウト活動や氏子青年会の発足など、ゆとりの中に楽しみがありました。
聞く所によれば、公立の病院でも昼休みにはお医者さんと看護婦さんが円陣を組んでバレーボールを行なったり、卓球、テニスを楽しんだ話も伺いました。
みんな楽しく、ゆとり、遊びの中に慈しむ心、やさしさがあふれ、いざという時には、自然災害であれ、人災であれ、皆が協力して社会貢献につとめたものでしたが、今(現代)はどうでしょう。
物心共にと言いますが、唯物史観に馴らされて、心にもゆとりがなくなれば思いやりも欠落し、他人は他人、自分は自分的な感覚になり、相互扶助は生まれてこなくなりました。

◆ 助けあい

少なくとも能登半島地震を始め、自然災害で苦しんでおられる人々に、小さな善意をそれぞれの立場で、出来るだけ多くの心を寄せたいものであります。
時代と言えば仕方ありませんが、ハラスメント社会でコンプライアンス、エビデンスを求められ、忍耐力など精神性に重きをおかなくなるのは残念な事であります。
「哲学なき政治」「感性なき知性」「労働なき富」は国家崩壊の要因となると言われておりますが、「義務」と「権利」が逆転する中、「伝統文化」「精神文化」「道徳心」を再認識していただきたいと思います。

ナポレオン

◆ むすび

この世の中の大自然は、良きにつけ悪しきにつけ、万物全てに別けへだてなく、容赦なしに襲いかかって来ます。
それを身を以て、肌で感じ、その出来事全てを受け入れ、「倒壊、津波、液状化、がけ崩れ、道路遮断、孤立、停電、断水、避難物資、避難所、二次避難、仮設住宅、みなし仮設、災害関連死」どれをとっても、涙をこらえ、歯をくいしばり、手と手を取り合って生きていかなければなりません。
その言葉ことばの一つひとつに、ゆとりを与え、ゆとりの中に生きる活力を見い出し、つらい時ほど笑顔でもって立ち向かい、元気でほがらかに過ごしましょう。
神様は必ず皆さん一人ひとりを見ていらっしゃいますよ。

拝礼