神道講話439号「おしもの(食物・飲食物)」
◆ はじめに
今年も豊かな秋の稔を迎えましたが、年始からの地震・多発する迷走台風・線状降水帯による集中豪雨・局地的大雨の発生など季節を選ばぬ天候の乱れによる災害等は「神も仏もあるものか」とささやかれ、能登半島では言葉にならない程の二重被害に落胆の色をかくせません。
「むくわれない努力はあっても、無駄な努力は一つもない」と先人は復興の努力と、いきごみを教えてくれています。
救われた命、助かった体を、大切に、より大切に生きて行きましょう。
苦しい時には休めばいいし、悲しい時には泣けばいい、声を出して共に語りあい助けあって過ごしましょう。
「神様も仏様も見てございます」
◆ 親の教え
今では炊飯器が電気・ガス等自動でご飯を炊いてくれるが、その昔、昭和30年頃は、母親が早く起きて竈の薪に火をつけ「始めちょろちょろ、中パッパ、赤子鳴いても蓋とるな」と歯釜でご飯を炊いてくれた事を思い出します。
母親は大正生まれの田舎育ちでお米は貴重品でした。ご飯が炊けたら先ず最初に神棚へお供えし、次にご先祖様にお供えしてから、釜の淵を木べらの杓子で丸く釜とご飯がつかない様にご飯を切り、お櫃に移すのであります。
お櫃には布巾をかけ、換気と保湿を兼ねて保存します。
釜に残った「おこげ」にお醤油をまわした、おむすびの美味しかった事は、今でも忘れ得ぬ思い出です。
ちなみに、片手で握るのが「おにぎり」で、両手で丸くむすぶのが、「おむすび」と教えられ、そして神様から戴いた命、食べ物を粗末にしてはならない事も生活の中で教えられたのであります。
残ったご飯や、食べ残しは水で洗って天日に干し「干し飯」を造り、昔の人は旅に出るときや、山仕事をする時に、水でふやかして食した事や、戦後に油が流通する様になってからは、その「干し飯」を油で揚げて「あられ」にして子供たちの「おやつ」としました。
◆ 米への感謝
今では新米が採れたら我れ先にと買い求め、美味しく頂く事ができますが、昔は10月17日の神嘗祭、そして11月23日の新嘗祭に神様への収穫のお礼、感謝を込めて、家々、村々で秋まつりをしてから共々に秋の稔りに感謝を込めて食するのであります。
新米を食べる事ができたのは、その時だけで、後は来年の作付けの為に種もみとして保管し、いつ飢饉や日照があっても翌年の対応を考えて保存米としておりました。
従って、私たちの幼い頃の普段は毎日が古米か古古米が主食で、新米は祭りの時の「ハレ」の食べ物でした。
その名残か「もっそう飯」とか「強飯式(ごうはんしき)」などが各地で伝承されています。
現代社会は飽食の時代を迎え、田畑を耕作する人も老齢化し、農業をする人も少なくなり、米不足がさけばれると直ちに輸入米に依存する社会になってしまいましたが、日本人は、太陽と空気と水によって生かされて生きている事を感謝と共に「共働共生」、「地産地消」を大切に、そして在来種を守って今後も生活してゆかねばならないと肝に命ずるものです。
◆ むすび
環境省と日本自然保護協会が9月に発表した所によると北海道から沖縄まで、15年間調査の統計では、里地や里山の植物や鳥類、蝶類の個体数が減少していると発表されました。
近年、白山比咩神社、そして霊峰白山でも鳥が少なくなってきているように思います。
地球温暖化の影響なのでしょうか。
全国各地でも自然の長期的な変化は里山、里地にいる鳥や蝶など身近な生物の個体数が急速に減少しており、1年間での個体数が22%減少した種もあり絶滅危惧種に相当する水準の物もあると云います。希少種ではなく、いわゆる「普通種」のスズメやオナガ、セキレイのように、どこでもいる種の減少が深刻であると報道されています。
昆虫が少なくなればそれを糧とする鳥がいなくなり、植物も昆虫によっての受粉ができなくなり、野菜や果物も危機的になってきます。
ましてや、農作物の種は外来種(F1種)が多く、一代交配しかしない作物が多くなってきています。
この様な状態では加賀野菜や京野菜などの在来種(固有種)が私達の食生活には、かかせないものとなります。
幸い日本の主食であるお米は固有種であり連作もでき、古事記、日本書紀にもあるように「稲穂の神勅」の通り、生きていく糧の伝承は神社の「お田植」や「抜穂」のように神事として伝えられ、カケチカラとして伊勢の神宮にお供えし、新嘗祭で宮中や全国各地の神社にお供えされます。
「一粒万倍日」は日本の暦に古くからあります吉日の一つとして伝えられています。お米一粒でも大切に戴きましょう。
そして秋の稔りがより大きな実を結び素晴らしい新年を迎えられます事を心からお祈り申し上げます。