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寄稿
東日本大震災から1年を迎えて
ー原子力災害下の神社よりー
福島県相馬郡飯舘村鎮座 綿津見神社 宮司 多田 宏
東日本大震災により惹き起こされた東京電力福島第一原発の事故は、安全・安心を旗印に掲げてきた東電の怠慢により、私の氏子区域であります飯舘村が計画的避難区域になろうとは夢想だにしなかったことです。
当村は、原発事故より30〜50キロも離れており、水素爆発が起こると、多くの人たちが飯舘村に避難してきました。3月末に放射線量の高いことがわかると、屋内退避、4月22日に計画的避難区域に指定され、6月末までの避難指示が出されました。5月にはコンビニ・診療所が閉鎖され、役場機能も6月22日に福島市に移転しました。
村の外観は、震災前と何も変わらず放射能という、見えない敵に怯えているのが現状です。
私は悩んだ末、先祖代々御奉仕してきた神社に留まろうと決意しました。
白山さんを退職して40年あまり、社務所の建設・社殿の造営等神社発展のため、着々と地歩を固めてきたところ、今回の事故のために、様相は一変しました。
避難生活で家族はバラバラになり、伝統行事も中断されました。これらの復活には、相当な時間と熱意が要されます。
そのためには神職が神社に留まることにより、足がかりの一歩とし、いくらかでも氏子の心の支えでありたいと思います。
相馬市や福島市に避難している村民が車のお祓いに見えたり、遠方から七五三のお参りに来社されたときなどは、神職であって良かったとつくづく思います。
時には体の不調を訴える氏子の相談に乗ったりしております。「神社への信頼・存在感は」と考えさせられた1年でした。
この原発事故により仕事の場が変わり、移住を決意している村民もあるようです。このような現状を国はどのように見ているのでしょうか。
経済優先で自然への畏怖を見失ってしまった日本。科学の力で征服できるという傲慢さが、この度の人災を起こしたものと思います。
(昭和44年4月〜46年1月迄白山比咩神社でご奉仕)