白山比咩神社の「シリーズ企画 自然と生きる⑪「自然豊かな暮らしを願って、地域を潤す用水の整備に尽くす」」を掲載しています。

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シリーズ企画 自然と生きる⑪
「自然豊かな暮らしを願って、地域を潤す用水の整備に尽くす」
−能手取川宮竹用水土地改良区前理事長・善田晋作さんを訪ねて−

(令和6年1月)

当社とご縁のある中から、自然を敬い、慈しみながら、日々の生業を営む方々の姿をご紹介します。

手取川宮竹用水土地改良区(能美市宮竹町)
昭和25年に河南四郷土地改良区として発足し、同28年に宮竹用水土地改良区、平成29年に現在の名称に変更。宮竹用水の流域にあたる能美市と小松市の農業者を組合員として、幹線や支線用水路などの農業水利施設を管理しています。約110kmに及ぶ水路を維持して、地域の水の恵みを守り続けています。

(写真)宮竹用水親水公園(能美市岩本町)にある沈砂池完工記念碑を案内してくれた善田さん。「命の水」の文字は谷本正憲・前石川県知事の筆によるもの。


白山さんとの代々の関わり


宮竹用水は白山に源を発する手取川の左岸と梯(かけはし)川の右岸にあたる能美市から小松市にかけての水田を潤している農業用水の総称で、上郷(かみごう)・下郷(しもごう)・得橋(とくはし)・山川(やまかわ)の4つの用水を中心に、数多くの水路が広がっています。辰口地区で生まれ育ち、旧辰口町議を経て、石川県議として議長まで務めた善田晋作さんは、平成11年2月から令和6年1月までの24年間にわたって、宮竹用水を管理する土地改良区の理事長を任され、地域の水資源を支える職務を果たしてきました。
理事長時代の善田さんは、毎年の豊年講秋季大祭で宮竹用水を代表して豊年使を務めましたが、実はそれ以前から白山比咩神社とは深い関係にありました。昭和49年から現在に至るまで、約半世紀もの間、崇敬者総代を務め続けているのです。「先輩の崇敬者の方が総代に推薦してくださったのですが、当時はまだ30代の町議だった私のどこを見込まれたのか、未だに分からないんですよ」と笑います。
ただ、善田さんは「そうした関わりをいただくずっと前から、私にとって白山さんは尊い存在でした」と言い切ります。善田さんのあとを引き継いで、石川県議として活躍する息子の善彦さんが、毎月のおついたちまいりを熱心に続けているように、辰口地区に広がる水田地帯で代々の歴史を重ねてきた善田家にとって、水の恵みの源である白山と白山比咩神社を敬うのは当然のことだったからです。地域の発展に尽力してきた善田さんの胸の内には、ふるさとを育んでくれた白山の水への感謝が息づいています。

(左)神社境内の手取川の説明板は、平成28年に七ケ用水と宮竹用水の両土地改良区から新たに奉納されました。
(右)豊年講秋季大祭の豊年使として、式の装束に身を包んだ善田理事長(当時)。


用水と地域の環境を整備


そうした地元の水資源を守る使命感から、善田さんは理事長としての24年間で、宮竹用水をより良い環境に整備する施策の数々に取り組みました。
平成22年に完成した沈砂池(ちんしゃち)は、用水の流れに含まれる土砂を底に沈殿させて取り除き、手取川へ排出する施設です。大雨などで土砂の量が増えた際にも、下流の水田を守ってくれます。茨城県つくば市の研究機関に設計を依頼したことで、より多量の土砂に対応できる機能を備え、全国にも誇れる施設となりました。

宮竹用水とふるさとの自然に寄せる思いを語った善田さん。


平成15年から21年にかけての上郷用水の改修工事では、護岸を石積みにし、水路に玉石を敷き詰めて、用水が地下水にも浸透しやすい構造としました。ほかにもボランティアとの清掃活動や小学校の社会科見学の受け入れなど、宮竹用水が農業だけでなく、地域の環境全体を豊かにするための活動に力を注いできました。
「議員として地域の皆さんに応援していただいた恩返しもあって、用水をみんなのものにしたかったのです」と語る善田さん。土地改良区の名称に「手取川」を加えたのも、地元以外の人々にも宮竹用水の存在を知ってほしいとの思いがあったそうです。

手取川宮竹用水沈砂池 水の流れを遅くすることで、土砂を水路の底に沈めて取り除きます。


「命の水」が地域を育む


善田さんは土地改良区の財政再建にも力を入れました。約20億円にまで膨れ上がっていた借金を返済するため、国や県の助成制度を積極的に活用するだけでなく、平成30年から手取川宮竹用水第二発電所の運転を開始し、すでに稼働していた第一発電所とともに、用水の水力で生み出した電気を電力会社に売ることで財源としました。
自らも理事長就任から16年間は報酬を一切受け取らなかった改革が実って、平成25年には借金がゼロになり、組合員の農家が納める賦課金も大幅に減額することができました。財政再建について、「議員や企業経営に携わってきた経験を活かして、組合員の負担を減らすことが、私が理事長を務めた意味だったと思います」と振り返る善田さんの表情には、健全な財政基盤を残した充実感がにじんでいました。
善田さんは宮竹用水の存在を「流域全体に分け隔てなく潤いを与える『命の水』です」と表現し、「ふるさとが今後も水の流れをすぐ身近に感じながら暮らせる土地であり続けてほしい」と願います。善田さんが整備に心を砕いた宮竹用水は、今も白山からの水に乗せて、私たちを癒し育む自然のエネルギーを地域の隅々まで運び続けています。

(左)手取川宮竹用水第二発電所 水の流れを遅くすることで、土砂を水路の底に沈めて取り除きます。
(右)宮竹用水の水路は地域の至るところに張り巡らされています。

記・中道大介(高桑美術印刷)